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里を歩いて

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裏山の紀泉高原を歩くことが多いが、里を歩くことは少ない
山を歩くほど時間が取れない今日、里を歩いてみた
私は同じ和歌山市内だが50年前にこの地に越してきた
今は大きな地域と成っているが、渡し舟で和歌山市内の中心部に行った時代もあるそうな
紀泉高原の登山口の有る千手川付近を歩いてみれば田舎の景色が残るわが町六十谷
良い所に越してきたものだ

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新しく橋を作った

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裏山、紀泉高原のマイナーなコースは、ここ最近の大雨や台風で道が荒れ、小谷からなられる沢は道を流しているところが有った。
このままでは痛みがどんどんと進みより通行者を少なくするかもしれない

オミクロンで遠くには行きにくい
毎日のように古道修復に精をでしていたが、今日目的の三カ所の橋修復が終わった

やはり段々と作りが上手くなり、今回は最高だと自画自賛だ

材料は倒木と雑木だ

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弓の名人 和佐大八郎の墓

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和佐大八郎は和歌山の弓の名人でした

和歌山の民話からコピー

 弓のチャンピオン和佐大八郎は、昔の和佐村の出身。二十四歳のとき、京都・三十三間堂の「通し矢」で、一昼夜に八千百三十三本を記録、一躍日本一の弓の名手になったという。貞享三年(一六八六)四月のことだった。
 だが、晩年は恵まれず、田辺に幽開されたまま病死したとか。理由は弟、半六の女性問題ともいうが、大八郎の記録はライバルだった尾張審士の記録を破ってのもの。そのあたりに、この「不遇の晩年」を解明する手がかりがあるのかも……。
 その大八郎の墓が、称宣の山すその共同墓地の一角にある。高さ四十センチばかりの小さな碑の側面にある刻字は「大八良」。そういえぱ、彼の名は「大八」だという説も。

(メモ:布施屋(ほしや)の国道24号線から南へ県道船戸海南線へ入って約三キロ、国鉄和歌山線布施屋駅からも同じくらい。墓の北五百メートルほどのところに、母親が大八郎の成功を祈願したという「高積神社」がある。)

和佐大八郎の墓は和歌山の和佐に有り、一族の墓が多く存在します
古い墓が多く残ります

墓の位置

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鳴滝峠、古道探索

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紀泉高原で最も荒れた道に鳴滝峠越えが有ります
今、友人のクラブがその復元に努力しています
私も少しだが、何かの力に成れればと今日友人と二人で、古い沢を渡す鉄橋を探しに行きました

沢内を探す友人

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登山道整備

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午前中は紀泉高原滝谷尾の登山口道標の交換をして、滝谷の登山道の状態を確認してきました
滝谷道は荒れています
簡易で蔓類を取りました

このままでは廃道に成るかも、一度通歩いて確かめたい

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コース図です
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