fc2ブログ

巻向山 大和青垣の峰から

220921-095319.jpg


大和青垣の山々、奈良山岳会編、の初版昭和48年8月20日

ページ48 に書かれた一章うから山域を廻ってみた
記事は、ヤマレコに挙げてリンクします

三輪山と穴師山の間、車谷の奥にそびえる山がそれだ。
標高は両者より高いが奥深くに存在するため、ふもとからは目につきにくい。
国鉄桜井線の車中からでも、わずかに三輪と巻向山の間で全容が見えるに過ぎない。
西に離れるにしたがって見える範囲は広くなり、国道24号線からは天理から八木までの間、ずっと姿を見せてくれる。
車谷をさかのぼり、奇峰「白山」のふもとの奥の不動から巻向山への登路がある。
北方への谷をつめると、巻向山本峰と南東峰との間にでる。
北西方向にあるのが本峰で木の間から大和高原が望まれる。
この南東にある峰は567メートル、本峰より高く国土地理院の三角点標石が有る
穴師兵主神社の宮司、中氏によれば、この峰がいわゆる弓月ヶ岳で、穴師「上の社」は元ここに有ったと言う

大和高原を一望
南東に連なる弓月が岳

万葉集に
子等が手を巻向山に春されば、木の葉凌ぎて霞たなびく

あし引きの山河の瀬のなるなべに、弓月が岳に雲立ちわたる

中氏の説の通り、いにしえの弓月ヶ岳は巻向山中の一峯を指すのであろうか
大和志料にも「巻向山・・・三輪山ノ北ニ有リ、峰ヲ弓月ケ岳ト称シ初瀬山に連ナル」とあり、
大和名所図会も同じ説を載せている
しかるに大和名所図会は又別の説をもかかげている。

「釜ノ口東峰は弓月ガ岳、頂上に十市兵部少輔遠忠の城跡有り・・・」と
釜ノ口は長岳寺の山号で、十市城跡は竜王山のことである。
このように古い時代の地名が、長い年月の間に周辺のあちこちに使われた例は案外多いのではないだろうか。
また、
大和志料は、巻向山中の元桧原、というところに、巻向座若御魂神社がまつられていたことを伝えている。
この社も現在は穴師兵主社」に合祀されているが、中氏の説によれば、元桧原は巻向山頂きの北側みやこ谷と称する所だろうと言う

220921-135506.jpg
現在の巻向山山頂、三角点 巻向山

220921-100838.jpg

巻向山本峰にある奈良大学ワンゲルの道標

220921-110747.jpg

奈良桜井市の観光百選、高山神社のパワースポット案内




道標の支柱探して紀泉高原に

202201191.jpg

大同寺霊園が一般車の駐車を禁じてから大関橋駐車場がにぎわっている
大福山から六十谷道下山で大関橋に距離を縮めたいときに滝谷尾下山が一番早い
滝谷尾は長年整備が無かった
そこを山友が下草や伸びた雑木、倒木を撤去して道を整備した
少し私も加わったが、道標は私の係りと、新しい道標設置計画だ
その道標の支柱は自然な木が良いと、松の倒木の芯部分が残る物が一番良い
探せばあるもで、今回、八王子社跡道標分も見つかった
次回は分岐に背負子で運ぶ作業だ

続きを読む

南叡山 大同寺

DSC_0026.jpg

大同寺は織田信長の紀州攻めで焼かれた古刹です
地元でも檀家が少ないお寺さんです
和歌山の大福山は古くは大同寺の奥の院であったと言われています
大同寺の末寺は宗派替えで焼き討ちを免れたが、最後まで天台宗を変えなかったお寺だそうです
焼き滅ばされるが、紀州初代藩主、徳川頼宣が小さいが裏門を表として再建したそうな

六十谷駅から岩神山や大福山に登られるときは大同寺の参詣も良いよ

続きを読む

ベニバナギンリョウソウ

DSCN6650.jpg

梅雨と言えばササユリ
ピンクで武骨物でも美しいお感じる

所が
ギンリョウソウと言えばシロと決まったように思っていたが
わが裏山にピンクのギンリョウソウが有った

DSCN6621.jpg

小さな花だ
数を減らしているようだ
みんなで守りたい
DSCN6593.jpg

虎伏山竹垣城こと和歌山城

1712100001.jpg

今日は少し山と名の付くお城に登ってみました。
城にある三角点は48m、天守閣は三層でたぶん展望場所までは60m程度だろう。

続きを読む

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
プロフィール

syotann

Author:syotann
FC2ブログへようこそ!

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
QRコード
QRコード