私の登山スタイル
少し大食漢がたたり、お腹を壊してしまった
お陰で、ジックリと登山の反省をしてみる時間が取れた
和歌山の山里で生まれた私は、子供の頃から低山の里山を登り、そこを遊び場としてきた
小さな急傾斜を見つけては登り、下り、又飛び降りたりと、村の子供達と山を遊び場の一つとしてきた
少し大きくなると、古墳や土器に興味を持ち、里山の古墳を探そうと一人で山に入った物だ
そのころは、地図もなく、裾野から登り口を探し、下山地点を頭に入れて下山した
何故か迷わずに下山できた
今思うに、動物の通り道を上手く利用したように思うし
又、当時の里山は、薪集めのために、人が多く入り自然に山道が出来ていたのだろう
里山と言っても2~300mの我が古里の山、1000mを越える山などはない
少し大きくなった頃、900m足らずの生石山に登った時は、それこそエベレストの山頂に立ったような気分だった

先日、バリエーション登山その物は、山の自然を破壊している。と聞いた
少し、疑問に感じた
果たしてそうだろうか
動物は山を自由に歩き、自分の道を作り、山を往来する
人も又そうだった
山に入れば動物の道を頼りに、山々の収穫を手に入れ生活の場としてきた
山には神々が住まい、その山々の神に許しを請いながら山の収穫を手に入れた物だ
どの里山にも、山ノ神を祀る祠跡がある物だ

何処に何があるかを知り、今で言うバリエーションで山を歩き、山の収穫を手入れた
必要最小限の、小枝は払ったが、それが目印となり、又次の収穫時にはまたその目印を頼りにその場に行く
私は今も、鎌址 から人の通った事を知りバリエーションコースを登る
今も、秋の収穫や、春の新芽の収穫を楽しむ時があるが、必要量以上は手にしない
どんなに綺麗な花が咲いていようが、それを持ち帰る事などはしない
野の花は、野に咲いて綺麗なのだ

登山に置いては、未知の尾根を歩き、岩を登り、非日常の場から、礼儀待って山に対話する
その心を失ったときに、山は荒らされる
山は人
女形(おやま)、と言うが如く、綺麗で人を魅了するが、どれだけ厳しいを修行するか
山は、人の心を洗い、清め、そして高めて行く
山頂を目指す道はそれぞれだろうが、山に礼儀を持って登れば、それぞれの道
日本古来の道とは、頂を極め、礼儀礼節を身に付ける事だと思う
花道、柔道、弓道、合気道、道はそれぞれだが、登山道も又道成り
その心が有れば、道無き道を登り進む登山も、又登山道
以下の抜粋記事は、私の登山スタイルを決めた小さな記事ですが、今もデスク前に張り、時々読み返す
朝日新聞に以下の記事が載っていた
この夏、日本百名山で見た物、
白馬岳山頂で方位盤を独占するグループ。放し飼いの犬と丹沢山に登る人。
至仏山ではではハイマツの上に荷物。くわえたばこで歩く人もいた。
山は礼儀と非日常の場なのに。百名山は山を愛した作家深田久弥が選び、64年に本にした。
彼は生涯「非流行」の山を求め、百名山を特別視する気など無かった。
山を人間と見なして対話し自らを深めたその精神とは裏腹に、ブームは一人歩きをする。
ブランド志向と相まって完登の達成感が求められ、満願の山頂に記念プレートを奉納する巡礼者もいる
97年にはニュージーランド人が78日間で完登し1週間後に日本人が76日間で抜いた
百で足りなければ二百名山に三百名山、山梨百名山など地域版、世界百名山だってある
深田が嫌ったツアーも山と結びついた。登頂証明書を発行する業者のパンフには「百枚集めるまで頑張りましょう」
登山はスタンプラリーか
ブームが加速したNHK番組「深田久弥の日本百名山」は美しいが影は映さない。
たとえば一極集中による山の過剰利用。丹沢山塊の大倉尾根は道の周囲が踏み荒らされて痛々しい
し尿処理や高山植物の荒廃も各地で深刻だ。
百の頂は現在社会の縮図でもある。品格、歴史、個性を基準に深田は百名山を選んだ。
思えば私たちが失いかけたものばかり、この夏本紙群馬版に載った川柳がある
裏山に百名山に無い思い
白石明彦
8日付「ヘラルド朝日に英文掲載」

お陰で、ジックリと登山の反省をしてみる時間が取れた
和歌山の山里で生まれた私は、子供の頃から低山の里山を登り、そこを遊び場としてきた
小さな急傾斜を見つけては登り、下り、又飛び降りたりと、村の子供達と山を遊び場の一つとしてきた
少し大きくなると、古墳や土器に興味を持ち、里山の古墳を探そうと一人で山に入った物だ
そのころは、地図もなく、裾野から登り口を探し、下山地点を頭に入れて下山した
何故か迷わずに下山できた
今思うに、動物の通り道を上手く利用したように思うし
又、当時の里山は、薪集めのために、人が多く入り自然に山道が出来ていたのだろう
里山と言っても2~300mの我が古里の山、1000mを越える山などはない
少し大きくなった頃、900m足らずの生石山に登った時は、それこそエベレストの山頂に立ったような気分だった

先日、バリエーション登山その物は、山の自然を破壊している。と聞いた
少し、疑問に感じた
果たしてそうだろうか
動物は山を自由に歩き、自分の道を作り、山を往来する
人も又そうだった
山に入れば動物の道を頼りに、山々の収穫を手に入れ生活の場としてきた
山には神々が住まい、その山々の神に許しを請いながら山の収穫を手に入れた物だ
どの里山にも、山ノ神を祀る祠跡がある物だ

何処に何があるかを知り、今で言うバリエーションで山を歩き、山の収穫を手入れた
必要最小限の、小枝は払ったが、それが目印となり、又次の収穫時にはまたその目印を頼りにその場に行く
私は今も、鎌址 から人の通った事を知りバリエーションコースを登る
今も、秋の収穫や、春の新芽の収穫を楽しむ時があるが、必要量以上は手にしない
どんなに綺麗な花が咲いていようが、それを持ち帰る事などはしない
野の花は、野に咲いて綺麗なのだ

登山に置いては、未知の尾根を歩き、岩を登り、非日常の場から、礼儀待って山に対話する
その心を失ったときに、山は荒らされる
山は人
女形(おやま)、と言うが如く、綺麗で人を魅了するが、どれだけ厳しいを修行するか
山は、人の心を洗い、清め、そして高めて行く
山頂を目指す道はそれぞれだろうが、山に礼儀を持って登れば、それぞれの道
日本古来の道とは、頂を極め、礼儀礼節を身に付ける事だと思う
花道、柔道、弓道、合気道、道はそれぞれだが、登山道も又道成り
その心が有れば、道無き道を登り進む登山も、又登山道
以下の抜粋記事は、私の登山スタイルを決めた小さな記事ですが、今もデスク前に張り、時々読み返す
朝日新聞に以下の記事が載っていた
この夏、日本百名山で見た物、
白馬岳山頂で方位盤を独占するグループ。放し飼いの犬と丹沢山に登る人。
至仏山ではではハイマツの上に荷物。くわえたばこで歩く人もいた。
山は礼儀と非日常の場なのに。百名山は山を愛した作家深田久弥が選び、64年に本にした。
彼は生涯「非流行」の山を求め、百名山を特別視する気など無かった。
山を人間と見なして対話し自らを深めたその精神とは裏腹に、ブームは一人歩きをする。
ブランド志向と相まって完登の達成感が求められ、満願の山頂に記念プレートを奉納する巡礼者もいる
97年にはニュージーランド人が78日間で完登し1週間後に日本人が76日間で抜いた
百で足りなければ二百名山に三百名山、山梨百名山など地域版、世界百名山だってある
深田が嫌ったツアーも山と結びついた。登頂証明書を発行する業者のパンフには「百枚集めるまで頑張りましょう」
登山はスタンプラリーか
ブームが加速したNHK番組「深田久弥の日本百名山」は美しいが影は映さない。
たとえば一極集中による山の過剰利用。丹沢山塊の大倉尾根は道の周囲が踏み荒らされて痛々しい
し尿処理や高山植物の荒廃も各地で深刻だ。
百の頂は現在社会の縮図でもある。品格、歴史、個性を基準に深田は百名山を選んだ。
思えば私たちが失いかけたものばかり、この夏本紙群馬版に載った川柳がある
裏山に百名山に無い思い
白石明彦
8日付「ヘラルド朝日に英文掲載」
